マーラーの第三交響曲  
Dritte Sinfonie von Gustav Mahler  Third Symphony of Gustav Mahler



このバレエをハンブルク・バレエに捧ぐ

第四楽章(夜)はジョン・クランコとシュトゥットガルト・バレエに捧げられ、
1974年7月にシュトゥットガルトで、マルシア・ハイデ、リチャード・クレイガン、エゴン・マドセンによって初演された。


世界初演
1975年6月14日  ハンブルク  ハンブルク・バレエ


音楽
グスタフ・マーラー

振付・演出・照明デザイン
ジョン・ノイマイヤー


プロジェクション
マルコ・アルトゥーロ・マレーリ

主なオリジナル・キャスト
フランソワ・クラウス、ツァンドラ・ロドリゲス、ペルセフォネ・サマロポーロ、サルヴァトーレ・Aiello、
トゥルーマン・フィニー(マキシモ・バラの代役)、マガリ・メサック、フレッド・Howald、
マリアンヌ・クルーズ、マリアナ・エグレヴスキイ、トミスラフ・ヴコヴィッチ





あらすじ

第一楽章 昨日(マーラーの表題:牧神パンが目覚める、夏が行進してくる)
    “いつも、昨日という日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ”
        − “マクベス” ウィリアム・シェイクスピア※※  福田恒存訳−

第一楽章は生命のない自然から始まる。石か? 木か? 大地の震動は怒りだ。人間は大地から逃れることはできない。人間は戦争や破壊を生み出す大地の震動を感じる。出だしでは魅力的なマーチのリズムの小節が聞こえる。どんどん激しさを増したマーチのリズムはついに爆発する。ところどころに動物の音も聞こえる。主人公は自然と生命体の両方からの影響を受ける。

※※ マクベスが妻の死を聞き、絶望的になり、「明日が来、明日が去り、そうして一日一日と小刻みに、時の階を滑り落ちて行く、この世の終わりに辿り着くまで。」(第5幕第5場)に続いている。そしてさらにこう続く、「消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動き回る影にすぎぬ。・・・」英語のせりふとさらに続くせりふはこちらはこちら(S)


第二楽章 夏(マーラーの表題:牧場で野の花が私に語りかけること)
花:花は花そのもののために美しい。花の美しさは私たちにインスピレーションを与えるが、私たちの哀しみに入り込むことはできない。花はそこに存在するだけであり、何事にも関わりを持たない。


第三楽章 秋(マーラーの表題:森の中で動物たちが私に語りかけること)
秋になると人の温かさが恋しくなり、人と関わりたくなる。しかし秋はまた別れの季節でもあり、死と向き合うこともある。


第四楽章 夜(マーラーの表題:(原題)夜が私に語りかけること ⇒ 人が私に語りかけること)
この作品をジョン・クランコとシュトゥットガルト・バレエに捧ぐ

この楽章の歌詞と訳はこちら


第五楽章 天使(マーラーの表題:(原題)朝の鐘が私に語りかけること ⇒ 天使が私に語りかけること)
この楽章では子供の純粋さが私に話しかける。目に見えない力と純愛の象徴である天使を子供の姿と結びつけるところから私は始めたかったのだ。第五楽章は最終楽章への序章でもある。

この楽章の歌詞と訳はこちら



第六楽章 愛が私に語りかけること(マーラーの表題:愛が私に語りかけること)
完全な愛を考え、あこがれることで、人生の価値には重みが出る。しかし完全な愛は実現できないこともある。最終楽章での出会いは、はかなく、哀しく、愛はいつでも破れてしまう。パ・ド・ドゥでも主人公は第五楽章の天使と出会い、情熱的な愛を経験する。しかしこの出会いも束の間のものだ。愛の本質を完全に理解することはできないが、束の間他人の中にそれを感じることはできるのだ。



このバレエのテーマはグスタフ・マーラーの音楽である。私は第三交響曲を聴きながら自分が感じたり、イメージとして浮んできたことを、純粋なダンスとして、そして人間同士の関係として表現した。第六楽章のタイトルはマーラーがつけた“愛が私に語りかけること”になっているが、他の楽章は振り付けた作品に合ったタイトルを私がつけた。
ジョン・ノイマイヤー
(以上、J)

マーラーの第三交響曲について

参考として、各楽章ごとにマーラーの表題を示しているが、最終的にはマーラーは各楽章には表題を書かなかった。表題の詳しい推移についてはこちら(グスタフ・マーラーの部屋より)を参照してください。
また、最初の構想には第七楽章まであり、表題も付けられて完成もしていたのだが、最終的に第六楽章となり、第七楽章は第四交響曲の終楽章となっているが、その経緯は明らかになっていない。
また、マーラーについての詳しい情報は“グスタフ・マーラーの部屋”のサイトがいいでしょう。
(S)



新聞評

マーラーの第三交響曲は、作曲者の業績を再評価させるくらいすばらしい、信じられないような傑作である。・・・この作品は時代を超越し、洗練され、儀式にとらわれない素晴らしいバレエであり、ノイマイヤーの名前を“今世紀のもっとも偉大なるクラシックの振付家の一人”としてしっかりと刻み付ける。・・・このバレエは天才の作品である。
クライヴ・バーンズ、 ー ニューヨーク・ポスト −
(J)



第四楽章

O Mensch! Gib acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht? Ich schlief, ich schlief!
Aus tiefem Traum bin ich erwacht! Die Welt ist tief!
Und tiefer als der Tag gedacht! Tief ist ihr Weh!
Lust - tiefer noch als Herzeleid! Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit! Will tiefe, tiefe Ewigkeit!
おお、人間よ! 心して聞け!
深い真夜中は何を語る? 私は眠った、私は眠った!
深い夢からわたしは目覚めた! 世界は深い!
昼が考えたよりも深い! 世界の痛みは深い!
悦び−−それは個々の悩みよりいっそう深い!痛みは言う、去れと!
しかし、全ての悦びは永遠を欲する! 深い、深い永遠を欲する

フリードリッヒ・ニーチェ “ツァラツストラはかく語りき”より“陶酔の歌”  (手塚富雄訳)


第五楽章

Es sungen drei Engel einen susen Gesang,
Mit Freuden es im Himmel klang;
Sie jauchzten frohlich auch dabei,
Das Petrus sei von Sunden frei,
Von Sunden frei.


Denn als der Herr Jesus zu Tische sas,
Mit seinen zwolf Jungern das Abendmahl as,
So sprach der Herr Jesus:
           Was stehest du hier.
Wenn ich dich ansehe, so weinest du mir,
So weinest du mir.


Ach, sollt ich nicht weinen, du gutiger Gott!
Ich hab 'ubertreten die zehen Gebot';
Ich gehe und weine ja bitterlich,
Ach komm, erbanne dich uber mich,
Ach, uber mich.


Hast du denn ubertreten die zehen Gebot',
So fall auf die Knie und bete zu Gott,
Und bete zu Gott nur allezeit,
So wirst du erlangen die himmlische Freud',
Die himmlische Freud'.
Die himmlische Freud' ist eine selige Stadt,
Die himmlische Freud', die kein End' mehr hat;
Die himmlische Freude war Petro bereit't
Durch Jesum und allen zur Seligkeit,
Zur Seligkeit.

甘美な歌をひとつ歌っていたのは三体の天使。
喜ばしくも至福に満ちて天国に響き渡ったが
天使らもそこに居合わせ嬉しげに歓呼した。
ペテロの罪は晴れたのだ!
罪は晴れたのだ。

主なるイエスが食卓につかれて
十二人の弟子たちと晩餐をおとりになりながら、
告げていわれたその主イエスの言葉 −
“おまえがどうしてここにいまいるのか?
わたしがおまえをじっとみつめれば
それだけでおまえは泣くことになるだろう!”

“寛大な神よ、わたしは泣いてはいけないでしょうか?
十誡を踏みにじってしまったのです。
苦き涙をこぼして泣きにいきたいのです。
ああ、このわたしを憐れみにおいでください、
ああ、このわたしを”

“たしかにおまえが十誡を破ったというなら
ひざまづいたうえ神に祈りたまえ!
いつまでも ひたすら神のみを愛するのだ!
そうすれば やがて天国の喜びが許されよう”
天国の喜び
天国の喜びとは至福の町なるもの。
もはや果て知らぬ天国の喜び
そして天国の喜びがイエスを通して
ペテロに すべてのものに与えられ、

至福への途は調えられたのだ、
至福へと。

"Das Knaben Wunderhorn"より

上記の訳はキング・レコード発売のマーラーの交響曲全集の解説に掲載されていた深田甫訳を紹介しています。(S)